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PEOPLE

To pass the baton to the next generations,From 5th to 6th and beyond.

世代を超えてつないでいくこと5代目から6代目、そして未来へ

5代目社長則夫さんと息子の洋一さん、哲也さんに代々受け継いできた槙田商店の歩み、そしてそれを未来につないでいく話をお聞きしました。

Q:社長は入社されてどのぐらいですか?

則夫社長:もう40年になりますね。
もともと私は新潟の出身で槙田商店に婿として入ったのですが、当時は問屋稼業として地元の機屋さんたちが織られた生地を販売することが中心で、傘生地が主力だったのですが、入社後マフラー生地の担当をし、ちょうど世間のマフラーブームとともに発展いたしました。
また、弊社の傘生地は主にポリエステルを経糸に使っており、それに緯糸でシルクを使用した服生地が大きな反響を呼び、槙田商店の商売の軸として傘生地とマフラー生地、服地の3つが確立していきました。当時はメイドインジャパンの時代でした。

Q:ところが時代が変わるわけですよね。

則夫社長:ご存知のように、海外生産が増えていきました。
OEMの拡大や時代背景としてはファストファッションのようなファッションの意味や服の生産に変化が起きたことに伴って、国内生産からより安い海外生産へと変わっていきます。
また、弊社の事業である傘にも大きな変化がありました。
自社企画からライセンスビジネスへの移行です。
傘チームも話をしていたかと思うのですが、自分たちが考えて提案するスタイルからお客様のご要望を形にするというやり方が増えました。
洋一:以前はお客様のブランドの生地がたくさんストックされていましたよね。
則夫社長:そういう時代の流れの中、同業者やお取引先様方も時代の変化に合わせて海外へと進出されていきまして。
洋一:槙田商店も海外生産を一緒にどうかとお誘いをいただいたこともありました。

Q:でも出なかった。

則夫社長:はい、うちは出ませんでした。出ればきっと良い時代もあったでしょうが、続かなかったと思うのです。
私たちは西桂町・郡内地域でものづくりを続けてきて、ノウハウを蓄えてきていて、それが槙田商店なのですよ。

Q:その代わりにされたことは?

則夫社長:他に負けないものづくりをやりたいと。だから設備投資をいたしました。
自社で企画やデザインをすること、それを形にすることで槙田らしさを強くしたいと思い、付加価値の高い電子ジャカードを当時まだ高価だったのですが思い切って導入して新たな生産拠点を作りました。
中国との競争を考えるのではなく、槙田でしかできないことをやりたかった。元々は、先染めのチェックが主の産地でしたが、それだけでは表現できないような柄や世界観を電子ジャカードで作ってみようと思いました。

Q:則夫社長の勇気ある決断ですね!

則夫社長:いえいえ、先代から槙田はずっと設備と人には投資を惜しまない会社だったと思います。
また、おかげさまで先代からお付き合いのある地域の皆様に支えていただけたので、思い切って新しいことができたのでしょうね。

Q:服地といえば、国際的なアパレルメーカーとの取り組みもありますね。

則夫社長: はい、その仕事をいただけるようになったのも実は電子ジャカード織機がきっかけなのです。
電子ジャカードで生地が織れる工場を探しておられたデザイナーさんに機械屋さんが槙田商店には6台電子ジャカードがあると伝えてくださったそうで。
当時、傘事業が絶好調な時代でしたので、6台フル稼働で傘生地を織っていたのですがそのうち1台をデザイナーさんが作りたい生地を織るために使い始めました。
洋一:当時はいくら織っても間に合わないぐらいライセンス傘の仕事があって、特殊な糸使いをした規格の傘がブームでしたから、社内の職人もできれば傘をどんどん織りたいのに、それをなんとかやりくりして1台使って服地を織っていたんですよね。
則夫社長:傘生地は基本ポリエステルがメインなので織機の調整がしっかりできれば比較的仕事がしやすいんです。それに対して服地は細番手のポリエステルやシルク、キュプラなど繊細なものや、綿・麻・ウール等と糸使いも多く、どうしても疵の問題が出たり、なかなか売れるまでに時間がかかったりとリスクもありますから。
哲也:フル稼働している傘生地織機に対して、どうしても生産性が落ちる服地は社内でも古株の職人から、なんとかならないか、なんて声も出てましたよね。

Q:経営者としてもきっと稼働率をお考えでしょうし、ましてや社内からもクレームが上がる、となった状況でよくやめなかったですね。

則夫社長:結局、ものづくりが好きなんですよ。
もちろん服地のノウハウも得られるという考えもありましたが、それ以上に、デザイナーさんのものづくりの姿勢にも感銘を受け、一緒に作れること、それが嬉しかったのでしょうね。
人って本当に大事です。
そのあと、新しいデザイナーに変わられ、より一層技術力・発想力の必要なものづくりが続いていきました。
そんな中、横浜で開催された発表会にお招きいただきました時、「ようやくここまできましたね。」と言っていただけたこと、嬉しかったですね。

Q:槙田商店は人、そしてものづくり、なんですね。順調に聞こえますが、大変な時もあったと。

洋一:私は則夫の長男でリーマンショック直後に他社での社会経験後実家に戻ったわけですが、当時ちょうど第二工場もできたところなのに、服地はまずもろに影響を受け、傘生地も1年後にはその影響を大きく受けるところを目の当たりにしました。
哲也:私は次男で兄よりも1年半前に実家に戻ったのですが、リーマンショック前後で大きく変わったことを覚えています。
洋一:そう。長年やり続けてきたことを見直して、槙田商店ができることをより考えていくきっかけでしたね。
則夫社長:状況が変わってもお取引先様方が変わらずお付き合いくださりありがたかったですね。また、槙田商店に息子たちが戻った頃、ちょうど代替わりされるお取引先様も多く、リーマンショックは大変でしたし社員にも苦労をかけましたが、次のあり方を考えるきっかけになり、タイミングとしては新しいことを始めるきっかけになったのかもしれません。
OEMのお仕事はありがたいことですが、どうしても時代の変化で振り回されてしまいます。
そうではなく自分たちのものづくりのあり方を見直したいと思えたのです。

Q:洋一さん、哲也さん、よく家業を継ごうと戻られましたね。

哲也:兄は高校生の頃から跡を継ぐようにと父に言われていて、私は出てもいいと言われていたのですが、外で就職していた時、実家の傘を見せる機会があったんですよ。でもイマイチよく家業について知らない自分に気がつき、また、家業のことを話すと、そんな面白い会社が家業なのになぜ?と言われることもあり。
洋一:私は元々実家に戻るつもりで大学卒業後、外の会社で経験を積んでいました。
哲也:小学校の作文で兄は「将来、槙田商店の社長になる」って書いてたしね。
則夫社長:息子たちが戻ってくれて周りの見る目が変わりましたね。跡を継ぐ人が戻ってきた会社だって。それはありがたいことです。
洋一:一度外に出たことで、改めて家業の良さがわかった気がします。いいもの作っている、すごい会社だねって言われることも多かったですよ。
哲也:地元に久しぶりに戻った時に小学生からの友人たちにあって、やはり西桂で働き、生きていくことの良さを実感していたりします。
洋一:空気も綺麗だし、川の音も心地よいし。朝、起きて仕事に向かう時に、いいところだなあと実感します。そして仕事は、大変ですが、面白いです。最近では新しいお客様方との出会いも多く、言われたことを作るだけでなく同じ目線で一緒にものづくりをする機会が増え、さらに作ったものを売りに行って買ってくださるお客様と出会うことができて。

Q:槙田商店の都内でのポップアップやお取り扱いの拡大、メディアなどよく見かけるようになりましたね。

洋一:槙田はあまり露出をするとよくないというジンクスもあり。
哲也:派手はダメだって言われてきたよね。
則夫社長:本社ビルを新しくしたらオイルショックがあったりしましたしね。
洋一:大切なお客様に届く範囲での露出がちょうどいいのかもしれません。

Q:則夫社長から6代目、そしてその先へとつながっていく槙田商店ですが、これから目指したいことは?

則夫社長:やはり傘をもっと売っていきたいと思います。槙田にしかできないものづくりを凝縮した商品ですから。
哲也:産地の中でもっと自分たちの生地が根付くといいなと思うのです。産地に来ていただいた観光客やお客様が目にするところ、いたるところに自分たちが手がけた生地があったらと。
洋一:自分たちの子供に槙田を継いでいいよと言えるようにしたいなと思うんです。継ぐ大変さはありますが、それ以上に良さを伝えたいです。社員さんもいらっしゃるので、それがモチベーションです。
哲也:この10年で家族が増えたよね。
洋一:僕たちが子供の時は仕事場にはいられなかったけど、今は子供達が学校から帰ってきて、職場の中で過ごしている姿もあり。大切な商品を扱っているのでもちろんけじめは大切だし線引きをしなければいけないけれど、子供達の日常に自分たちの作った美しい生地や製品が存在することでなんかDNAになる感じがします。
則夫社長:社員の女性たちも子育てしていても辞めずに働いてくださっていたりと、世代を超えて一緒にものづくりができることが嬉しいですね。次の世代に対して日常にものづくりがある、そんな環境を提供できることも槙田商店らしさだと感じます。

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